新宮市(旧熊野川町)

旧熊野川町

この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分の1地形図を使用した。(承認番号 平25情使、第72-GISMAP32551号)

熊野川九里峡

熊野川九里峡

 田長から新宮にかけて、熊野川が熊野酸性火成岩類の花崗斑岩を浸食したため深い峡谷が形成されています。峡谷の河岸には、柱状節理が発達した岩壁や奇岩を観察することができます。かつての熊野詣では、本宮に詣でた後、川舟で新宮へ下り、その後那智をめざしました。2005年に「川の参詣道」熊野川の川舟下りが復活しました。

【エリアが重複するため、『新宮市(旧新宮市)』にも、同じものが記載されています】

このページの上へ

御所本のカレントリップル

御所本のカレントリップル

 新宮市熊野川町小口付近に分布する熊野層群の砂岩泥岩互層に発達するカレントリップルマーク(漣痕)の大きな露頭です。かつて海底に堆積した砂層の表面に水流が形成した堆積構造です。その後、地殻変動により隆起し、現在は40~50°谷側に傾斜した砂岩層の表面に残されています。

このページの上へ

和田川峡

和田川峡
 前弧海盆に堆積した熊野層群の砂岩泥岩互層を和田川が浸食してできた切り立ったV字谷渓谷です。和田川の渓谷は、川が下へ下へと浸食を進める穿入蛇行によってつくられました。この崖地にはモミ、ツガ、自生のヒノキ、シイ、ウバメガシ、クルマギク、キイジョウロウホトトギス、ウナヅキギボウシなどの植物を見ることができます。

このページの上へ

田長の猪岩

田長の猪岩

 熊野酸性火成岩類の流紋岩質火砕岩の大岩壁です。柱状節理は発達せず、一枚岩の形状をなし、猪の横顔のようにも見えます。『紀伊国名所図会』には「その形状、猛獣の如き勢を示す。熊野川中第一の奇山か」という記述があります。

このページの上へ

相須神丸(アイスカンマル)の高倉神社跡

相須神丸の高倉神社跡

 赤木川の川岸にある社殿のない神社です。川端の岩を祀っています。大正末期頃、日足の高倉神社に合祀されました。前弧海盆に堆積した熊野層群の上部層が分布し、周辺には北西-南東方向に貫入した石英斑岩の岩脈があります。

このページの上へ

谷口の石炭層

谷口の石炭層

 きわめて浅海に堆積した熊野層群上部層には、厚さ20cm前後の石炭層が挟まれます。石炭は金属光沢を放つので、他の地層と識別は容易です。谷口の露頭は、近くの三熊炭鉱がかつて採掘していた炭層の延長にあります。この地域には熊野炭田の炭鉱が7カ所稼業していました。

このページの上へ

小雲取越

小雲取越

 新宮市熊野川町小口から田辺市本宮町の熊野本宮大社までの、如法山を主峰とする小雲取山を越える熊野古道中辺路です。山体は音無川層群と熊野層群の堆積岩で形成され、熊野酸性火成岩類の花崗斑岩を越える大雲取越に比べ、比較的緩やかな山道が続きます。

このページの上へ

万才峠道

万才峠道

 小雲取越道から万才峠で分岐する伊勢道の古道の残る部分です。古い石垣の残る雰囲気の良い古道です。万才峠から請川にかけての中辺路には熊野層群中部層が、万才峠から宮井にかけての伊勢路には熊野層群上部層が分布します。

このページの上へ

一遍上人名号碑建立之地

一遍上人名号碑建立之地

 一遍上人名号碑(いっぺんしょうにんみょうごうひ) は、熊野層群のものとみられる砂岩の名号碑を、石英斑岩の石材で取り囲んで一体としています。名号碑は、草字行字の二基あったとされています。1つは現存の場所で、もう1つは万才峠付近にあったと推定されています。

このページの上へ

志古の磐座(イワクラ)

志古の盤座

 厚い砂岩層(熊野層群)の崩壊岩塊が積みあがった磐座を祭祀の対象とする、社殿のない聖域です。

このページの上へ

志古の貝持嶋

志古の貝持嶋

 棟木を出す合図の貝を吹いたところです。厚い砂岩層(熊野層群)からできています。(『紀伊続風土記』・『紀伊国名所図会』)

現在は、ウォータージェット船の停留場所となっています。

このページの上へ

椋呂の火成岩

椋呂の火成岩

 熊野川の北岸に大峯花崗岩類の岩壁が露出します。熊野層群の地層の中に、マグマが水平に潜り込んでできたシート状の火成岩です。岩壁にはマグマの冷却時の収縮による柱状節理が発達し、熊野川の峡谷に特徴的な風景を作っています。

このページの上へ

篠尾川渓谷

篠尾川渓谷

 紀伊半島の土台をなす地層(付加体)の音無川層群が分布する渓谷です。スラスト(低角な逆断層)が作った破砕帯や、かつての海溝に形成された海底扇状地の堆積物(砂岩泥岩互層=タービダイト)を見ることができます。泥岩層が分布する所は側方浸食により谷幅が広く、篠尾の集落が形成されています。

このページの上へ

篠尾の不整合

篠尾の不整合

 紀伊半島の土台をなす地層(付加体)の音無川層群と、その上に形成された前弧海盆に堆積した熊野層群の不整合が観察できます。両者の堆積には数千万年の隔たりがあり、その間にプレート運動による激しい地殻変動があったことを物語っています。新宮市熊野川町篠尾から新宮市熊野川町九重へ抜ける林道上の露頭で見られます。

このページの上へ

嶋津の筏師の道

嶋津の筏師の道

 「筏師の道」は、かつて筏師が、河口の新宮と山間部の集落の間を移動するために、熊野川流域に発達した道です。嶋津では、「板屋断層」の上を道が通過し、日高川層群と熊野層群の2つの地層を道沿いで観察し、約5400万年のタイムギャップを感じることができます。

このページの上へ

瀞八丁

瀞八丁

 南紀熊野ジオパーク地域内で最古の付加体である日高川層群が分布します。マグマの熱で硬くなった地層が、その後の隆起により北山川に浸食され、深い峡谷が形成されました。この景観を内務大臣・外務大臣などを歴任した後藤新平が絶賛し、大阪から熊野地域への大型船の就航につながったと言われています。現在は、志古-瀞峡間をジェット船が航行しています。

このページの上へ

大雲取越

大雲取越

 那智勝浦町の那智山から新宮市熊野川町小口までを結ぶ熊野古道中辺路です。那智山から越前峠付近にかけて熊野酸性火成岩類の花崗斑岩からなる急峻な山塊を越えるため、熊野古道の難所の一つとなっています。

このページの上へ

円座石(ワロウダイシ)

円座石

 熊野三山の神々があつまって、話をしたという伝説の岩で、熊野層群の平行ラミナ(葉理)が発達した砂岩層の転石です。苔むした表面には円で囲まれた熊野三山の本地仏が梵字で彫られています。円座とは藁などを渦巻状に平たく編んだ敷物のことです。