南紀熊野ジオパークを学ぶ
大地の成り立ち
大地の成り立ち
地球表面は いくつかのプレートで、覆われており巨大なジグソーパズルのようになっています。
現在の日本は大陸プレート(ユーラシアプレートと北アメリカプレート)と海洋プレート(太平洋プレート、フィリピン海プレート)の4つが接した位置にあります。
STEP 17000~2000万年前深い海の時代
海洋プレートと大陸プレートの境目に堆積したもの(海溝堆積物)は、海洋プレートが沈み込むにつれ、どんどん陸地に押し付けられ、南紀熊野の土台(付加体)が作られました。
STEP 21800~1500万年前浅い海の時代
どんどん陸地に押し付けられ、浅くなった付加体の上に、くぼみができ、陸地から流れてきた砂や泥が堆積しました(前弧海盆堆積体)。
STEP 31500~1400万年前激しい火山活動の時代
マグマ活動が活発になって、付加体や、前弧海盆堆積体を突き抜けて、大規模な火山(火成岩体)がつくられました。
STEP 43つの地質がおりなす現在の地形
南紀熊野の地域には、海溝に堆積した地層からなる付加体とその上に重なる前弧海盆堆積体と、マグマからできた火成岩体が分布しています。そしてより新しい時代の地殻変動と風化浸食により、現在の地形となりました。
もっと詳しく知りたい人のために
南紀熊野の大地は、プレートの沈み込みによって造られた3つの地質体(付加体、前弧海盆堆積体、火成岩体)からできています。
STEP 17000万~2000万年前深い海の時代
付加体を構成する海溝堆積物は、はるか遠洋域で堆積した地層や、陸上の風化浸食により海へと運ばれた土砂が大地震の震動や洪水、暴浪で崩れて、海底土石流となり混濁流となって海底を流れ下り、海溝に海底扇状地を形成して堆積したものです(竜神付加体7000万年前~6000万年前、音無川付加体6000万年前~5000万年前、牟婁付加体5000万年前~2000万年前)。堆積直後に、プレートの沈み込みに伴って、海溝陸側斜面地下に強く押し付けられて付加体となり、持ち上げられて再び陸上に戻り、大地となりました。
STEP 21800万~1500万年前浅い海の時代
前弧海盆堆積体も、同じく風化浸食により河口に運ばれた土砂が、付加体の上にできた浅い海のくぼみに運ばれて堆積した地層(1800万年前~1500万年前)が、付加体の隆起に伴って押し上げられて大地となりました。
STEP 31500万~1400万年前激しい火山活動の時代
STEP 43つの地質がおりなす現在の地形
これらの地質体は紀伊半島の隆起と浸食の影響により、現在、地表にその姿を現しています。
紀伊半島は3つの地質体からなる大地が、プレートの沈み込みの影響を受け、黒潮に突き出す形で隆起をした地域です。そのため、険しい山と大海原が隣り合うという位置関係にあります。また、太平洋からの水蒸気が急峻な山にぶつかるため降水量が多く温暖湿潤な気候です。多量の降雨と河川の著しい下刻によって、深い谷が形成され平野が発達しにくいのですが、ところによっては河川の周辺に、河岸段丘や環流丘陵、小規模な沖積平野が存在しているところもあります。
紀伊半島は、全体としては隆起していますが、一部分には沈水地形を見ることもできます。エリア内では、海岸付近では、巨大地震に伴う大地の隆起と氷河性の海水準変動によって造られた海岸段丘が「平見」という地形として残存するとともに、広い波食台を見ることもできます。また、溺れ谷や、多島海などの沈水地形が存在し、複雑で多様な海岸景観を見ることができます。
現在、紀伊半島沖の熊野灘ではIODP(統合国際深海掘削計画)により地球深部探査船「ちきゅう」を使った調査が行われ、現在形成されつつある付加体の構造と沈み込み帯でのプレートの動きが解明されつつあります。この研究は、紀伊半島の四万十付加体の研究と一体として進めることで、付加体形成のメカニズムを詳細に解明し、プレート沈み込み帯での巨大地震の解明にも寄与するものと期待されています。また、南紀熊野の巨大な前弧海盆堆積体の中では、メタンハイドレート探査で注目を集める泥ダイアピルの構造を陸上で観察することができ、資源探査の貴重な情報源として期待されています。