太地町

太地町

この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分の1地形図を使用した。(承認番号 平25情使、第72-GISMAP32551号)

伴待瀬海岸のダイアピル

伴待瀬海岸のダイアピル

 地下深くにあった泥を多く含む岩石(泥質岩)が、地下水圧の上昇で液状化し、周囲の地層を取り込みながら、上の地層に割り込んだもの(泥ダイアピルという)が見られます。地下水圧の上昇は、プレートの沈み込みによるスラスト(低角な逆断層)運動によって起こったと考えられています。

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梶取崎

梶取崎

 熊野層群の砂岩層が作る絶壁が、熊野灘に向かって突き出した岬です。この岬に続く海岸段丘は、13~12万年前の間氷期に形成された海岸付近の平坦面が、南海トラフの巨大地震に伴う隆起によって標高60mまで持ち上げられたものです。岬の下の海岸では堆積構造や熱水活動の痕、生痕化石などを観察できます。沖を通る船はこの岬を目印として梶を取ったといわれています。古式捕鯨の船団を指揮した「山見」のひとつです。

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燈明崎

燈明崎

 熊野層群の砂岩層が作る絶壁が熊野灘に向かって突き出した岬です。背後には梶取崎と同様に海岸段丘が広がっています。日本で最初の「鯨油を使った行灯式灯台」がありました。遣唐副使だった吉備真備が漂流した地とも伝わっています。古式捕鯨の船団を指揮した「山見」のひとつです。

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和田の岩門

和田の岩門

 熊野層群の緩く傾斜した地層にある洞穴で、古来、和田の岩屋とか岩門(せきもん)と呼ばれていました。紀伊続風土記には「和田の岩穴 村の端磯辺にあり。山を切り抜きて門の形を成す。」とあります。太地の古式捕鯨の祖、和田家の通用門でした。和田氏はこの内側に、4、5千坪もある屋敷をかまえていました。