防災

 南紀熊野は、海溝型巨大地震による津波の被害を繰り返し受け続けてきました。

 那智勝浦町では1944年の昭和東南海地震での津波被害が大きく、那智湾からあふれた津波がJR紀勢線の線路を押し流し、紀伊勝浦駅が倒壊しました。1946年の昭和南海地震の際には、白浜町から串本町にかけての沿岸部が、津波により甚大な被害を受け、串本町の袋では、6mを越える津波が到達したことが分かっています。

 このような津波被害に立ち向かう知恵を後世に残すため、記念碑や標柱の建立などが行われてきました。白浜町の日神社には津波の被害状況や避難方法を記した警告板があり、また、白浜町から串本町にかけての沿岸部では、津波の到達標柱が、30箇所以上残されています。中でも、串本町の袋には津波の到達標柱だけでなく、山の斜面に過去の津波の到達水位(約7.9m)が示されており、国道からでもよく目立ちます。また、東岸の那智勝浦町では、天満地区に大津浪記念碑が建立されており、また市野々地区には「魚の首」という津波の遡上を言い伝える地名も残されています。

SS9袋の津波到達標柱
袋の津波到達標柱
EE6大津波記念碑
天満の大津浪記念碑

 昭和東南海地震や昭和南海地震を経験した人々の話は、地域に受け継がれており、地震と津波に対する意識向上に役立っています。特に2011年の東日本大震災以降は、沿岸部の各地で津波ハザードマップに基づく避難経路の検討や訓練が、従来より活発に行われるようになり、避難場所が整備されたり、自主防災組織数が増加するなど、自助・共助・公助を一体とした津波被害への対策が進められています。

 さらに、過去の記憶を伝えるだけでなく、串本町の橋杭岩周辺に点在する巨礫の位置や移動の年代の研究から、巨大津波の再来周期を解明し、予測に活用しようとする研究が現在進展しており、地震や津波の被害の軽減に大きな期待が寄せられています。

津波石
橋杭岩

 また、南紀熊野は、豪雨による土砂災害や洪水被害も繰り返し受けてきた地域です。この地にもたらされる多量の降雨は、豊かな林産資源を育む一方で、明治には十津川大水害、平成には紀伊半島大水害を引き起こし、甚大な被害を与えてきました。

 しかし、人々は水害に果敢に立ち向かう知恵を発展させてきました。例えば、上富田町のかつて暴れ川とよばれた富田川には、集落を守るための堤防を造るために人柱になった彦五郎の伝承があります。また、周囲の街や田畑を水害から守るために、川の流路の変更を行った川替えの跡なども残されています。さらに、洪水時に破壊されないように設計された潜水橋が富田川には2本、古座川にも1本かけられており、地域の人々が洪水とうまく付き合ってきたことが伺えます。

彦五郎堤防彦五郎人柱之碑